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錦の御旗は、1221年(承久3年)5月、後鳥羽上皇が城南流鏑馬の武者揃えと称して北条義時追討の兵を募った際に、10名の武将に授けたことが最初なのだといいます。 |
それから650年後の1868年(慶応4年)正月の鳥羽・伏見の戦いでは東寺に錦旗が翻ります。 |
鳥羽・伏見の戦いは、城南宮の参道に置かれた薩摩藩の大砲が轟いて始まったのだといいます。 |
承久の乱は、後鳥羽上皇が起こした打倒北条義時の兵乱。 後鳥羽上皇方の敗北により、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇が流され、後鳥羽上皇に加担した公家・武士などの所領は没収。 朝廷の動きや西国御家人を監視するため六波羅探題が設置された。 |
よみがえる承久の乱 −後鳥羽上皇VS鎌倉北条氏− |
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