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平禅門の乱
平頼綱の滅亡

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 霜月騒動によって安達泰盛が滅びた後、内管領の平頼綱が幕府の実権を握り、次男飯沼資宗(助宗)の威勢も盛んになってくると、執権北条貞時は、徐々に頼綱の手法に恐怖を覚えるようになる。

 そうした中、頼綱父子は、将軍久明親王を亡きものにし、執権北条貞時をも滅ぼす企てをした。

 その計画を貞時に密告したのは、頼綱の長男宗綱であったという。

 頼綱に不安を感じた貞時は、1293年(永仁元年)4月22日、頼綱邸を襲撃。

 その結果、頼綱は自害、資宗も討たれた。

 頼綱の長男宗綱も刑を免れることはできず、佐渡国へ流された。

 一方、霜月騒動で罪に問われていた金沢(北条)顕時が政界に復帰している。 


安達泰盛と平頼綱の対立〜霜月騒動〜(okadoのブログ)






〜平頼綱〜

 「平禅門の乱」で討たれた平頼綱は、北条得宗家(泰時経時時頼)に仕えた平盛綱の子。

 源平合戦(治承・寿永の乱)の折、壇ノ浦で自刃した平資盛の子が盛綱であるという。

 頼綱は、八代執権北条時宗と九代執権北条貞時内管領として幕政に加わり、霜月騒動安達泰盛を滅ぼし、幕府の実権を握った。

 のちに、十四代執権北条高時内管領となり、幕府の実権を握る長崎円喜や高資は、頼綱の一族。


内管領長崎氏

 「平禅門の乱」によって、執権北条貞時の専制政治となったが、平頼綱の一族も徐々に勢力を盛り返し、頼綱の後を受けて長崎光綱が内管領となった。

 光綱の子長崎円喜は、十四代執権北条高時の後見役を務め、幕府の実権を握るようになる。

 1326年(正中3年)、高時が病のため執権職を辞任すると、得宗家の内管領長崎氏と得宗家外戚の安達氏が対立する嘉暦の騒動が起こっている。







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