中世歴史めぐり

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毛越寺・南大門跡
〜平泉〜

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毛越寺南大門跡


 南大門は、「二階惣門」とも呼ばれ、『吾妻鏡』にもそう記されている。

 両脇に仁王像が安置され、正面には金堂円隆寺の勅願を掲げていた。

 1573年(天正元年)の兵火によって焼失したが、現在でも12個の礎石が整然と並べられている。



〜頼朝が命じた仏国土保護〜

 『吾妻鏡』によると、1189年(文治5年)、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝は、清衡・基衡・秀衡の三代が建立した寺院の領地は先例のとおり寄付することとし、たとえ堂塔がなくなってしまっている土地であっても地頭が占領することを禁じ、その旨を円隆寺の南大門に張り紙したのだという。


毛越寺南大門跡
池の向こうに見える金堂円隆寺跡



リンクボタン『吾妻鏡』が伝える中尊寺

リンクボタン『吾妻鏡』が伝える毛越寺




歴史めぐり源頼朝




毛越寺
リンクボタン毛越寺

 毛越寺は奥州藤原氏二代基衡、三代秀衡の時代の寺院跡。
 2011年(平成23年)、「平泉〜仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〜」として世界文化遺産に登録されている。


岩手県平泉町字大沢58

JR平泉駅から徒歩7分程度



奥州藤原氏の栄華と
源頼朝・源義経をめぐる平泉

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奥州平泉
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