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冨士御室浅間神社
世界文化遺産「富士山」

編集:yoritomo-japan.com








御室浅間神社


 冨士御室浅間神社は、699年(文武天皇3年)、藤原義忠によって富士山の二合目に祀られたのが始まりで、富士山最古の神社といわれている。

 958年(天徳2年)、村上天皇が氏子の利便をはかって河口湖の南岸に里宮を創建した。

 現在の社殿は1889年(明治22年)の再建。

 戦国時代には甲斐武田家の尊崇を受け、武田信玄直筆の「安産祈願文」が残されている。

 世界文化遺産「富士山」の構成資産。


祭神

木花開耶姫命
(このはなさくやひめのみこと)


冨士御室浅間神社は本宮(山宮)と里宮からなる神社。

本宮は、富士山吉田口登山道の二合目に鎮座。

吉田口登山道の入口は北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市)。









御室浅間神社本殿
本殿

 冨士御室浅間神社の本宮は藤原義忠が富士山の二合目に祀った富士山最古の社。

 722年(養老4年)、雨屋が建立され、807年(大同2年)、蝦夷討伐の御礼として坂上田村麻呂が社殿を創建した。

 現在、里宮にある本殿は、1973年(昭和48年)に富士山二合目(本宮)から移築されもので、1612年(慶長17年)、領主鳥居成次による造営(国重文)。


御室浅間神社本殿





武田信玄の安産祈願状(二通)

 冨士御室浅間神社には、1557年(弘治3年)と1566年(永禄9年)に武田信玄が長女で北条氏政室となった黄梅院の安産・無病延命を祈願して奉納された願文が残されている。

 北条氏政は後北条氏の四代目。

 祈願成就の際には鎌倉往還の船津の関所を廃止する旨が記され、富士信仰の街道であった鎌倉往還の便宜を図るものと考えられている。

 信玄の願文としては、1565年(永禄8年)に息女の病気平癒を祈願したものも残されており、北口本宮冨士浅間神社にはその写しが伝えられている。

 この息女とは織田信忠と婚約した松姫(信松院)だといわれている。

 なお、1566年(永禄9年)に冨士御室浅間神社で行われた「大般若経真読会」は、信玄の嫡男義信の室となった今川義元息女の病気平癒祈願だったと考えられるのだという。



『勝山記』

 1564年から1561年(永禄6年)の間、法華宗の僧によって書き継がれたという河口湖地方の年代記。

 異名は「妙法寺記」で、妙法寺に伝えられている「妙法寺記」と冨士御室浅間神社に伝えられる「勝山記」は、共通の原本からの写本と考えられ、いずれも中世甲斐国を研究する上で一級の資料となっている。



流鏑馬

 冨士御室浅間神社の流鏑馬は、940年(天慶3年)、平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷が戦勝を祝って奉納したのを始まりとすると伝えられている。

 現在は4月29日に武田流流鏑馬が奉納されている。





御室浅間神社神門
神門


御室浅間神社
里宮の裏はリンクボタン河口湖








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冨士御室浅間神社
冨士御室浅間神社
(世界文化遺産)

山梨県南都留郡富士河口湖町勝山3951

富士急行線河口湖駅からレトロバスで10分









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