|
|
| 『鎌府勝景』(けんぷしょうけい)は、江戸時代後期の鎌倉の景観(勝景)を今に伝える貴重な史料。 江戸幕府十一将軍徳川家斉による鶴岡八幡宮再建の際に、作事方の役人として鎌倉に滞在していた海老原利啓が描いた写生図。 1827年(文政10年)8月、鎌倉を訪れた利啓が約1年をかけて鎌倉の寺社や名所及びその近郊を写生したもので、1834年(天保5年)にまとめあげたもの。 高さ約27センチ、長さが約13メートルの巻物で、二十一の図が張り合わされ、そのうち鎌倉は七里ヶ浜・稲村ヶ崎・極楽寺・星月夜井・長谷寺・法華堂・荏柄天神社・建長寺・円覚寺・海蔵寺・光明寺・鶴岡八幡宮の十二図。 極楽寺塔頭吉祥院門前の千服茶臼・星月夜井側の坂ノ下の高札場・鶴岡八幡宮寺の供僧坊(二十五坊)など、当時の風物を細かく伝えている。 2026年(令和8年)、鎌倉市指定文化財に指定。 |
| かつては四十九の支院があったという極楽寺。 現在は吉祥院を残すのみだが、門前には開山の忍性が病人や貧民に茶を薬として服用させるために茶をひいた臼と伝えられている「千服茶臼」が描かれている。 |
| 坂ノ下の虚空蔵堂の下のある星ノ井は、鎌倉十井の一つ。 別名を「星月夜井」。 側には高札が掲げられている。 |
| 1191年(建久2年)、源頼朝は「供僧二十五口の制」を定め、鶴岡八幡宮の裏山(御谷)には僧坊(二十五坊)が置かれた。 鎌倉幕府滅亡後は七坊までに減少。 1593年(文禄2年)に徳川家康が五坊を復興して十二坊となったが、1868年(慶應4年)の神仏分離令により廃絶。 |
| ※ | 画像は鎌倉市HPより |



|
|