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江島杉山神社(えじますぎやまじんじゃ)は、江の島弁財天の分霊と鍼灸師の杉山和一を祀る社。 杉山和一は、江の島に参籠して管鍼(かんしん)の技術を考案。 徳川5代将軍綱吉の病を治したことで、1693年(元禄6年)、本所一ツ目の地が与えられ、自邸に「杉山流鍼治導引稽古所」を設立。 この時、和一は83歳。 老いても江の島弁財天を参拝する和一の身を案じた綱吉は、一ツ目の地に江の島弁財天を勧請することを許可。 翌年、社殿が完成し、本所一ツ目弁財天として信仰されたのだという。 明治の神仏分離により、江島神社に改称。 その後、境内に和一を祀る杉山神社が創建され、1952年(昭和27年)には両社が合祀されて江島杉山神社となった。 |
本所一ツ目の屋敷は「惣禄屋敷」と呼ばれ、屋敷内に設立された「杉山流鍼治導引稽古所」は、世界初の視覚障害者教育施設。 和一は綱吉から「欲しい物は何か」と問われ、「一つでよいから目が欲しい」と答えことで、一ツ目の地を与えられたのだとか。 |
江の島の岩屋を模した岩窟には、人頭蛇尾の宇賀神像、宗像三女神像、杉山和一検校像が祀られている。 |
浄水で銭を洗う銭洗と、勾玉を浄めて美と長命を祈る美玉洗がある。 |
杉山和一と江の島 |
江の島は、1182年(寿永元年)、源頼朝が奥州平泉の藤原秀衡調伏祈願のために弁財天を勧請した島。 江の島弁財天は、近江琵琶湖の竹生島・安芸の厳島の弁財天とともに日本三大弁財天に数えられている。 |
杉山和一は、幼いときに失明。 鍼医を学んでいたが、なかな上達しなかったので、江の島の弁財天に参籠することに。 そして、満願の日に石につまずいたのがきっかけとなって「管鍼法」の技術を生みだし、「検校」という盲官の最高位に就いた。 江の島の福石は、和一がつまずいたという石。 |
江の島の旧下之坊墓地にある笠塔婆型の墓石は、1695年(元禄8年)、和一の一周忌に際して、門人の三浦安一が建てたもの。 |
江の島弁財天道標は、江の島の弁財天に参詣しようとする目の不自由な旅人のために和一が寄進したもの。 |
和一が参籠した江の島岩屋は、江の島弁財天信仰の発祥地。 |
東京都墨田区千歳1−8−2 JR「両国駅」西口から徒歩7分 都営大江戸線「両国駅」A4出口から 徒歩12分 都営新宿線「森下駅」A5出口から 徒歩12分 |
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