鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



歴史めぐり源頼朝
〜工藤祐経が河津祐泰を殺害〜







 1176年(安元2年)、源頼朝を慰めるための狩猟が奥野の狩場(伊東市)で催されました。

 その狩猟の後、伊東祐親の嫡男河津祐泰が工藤祐経に殺害されるという事件が起きました。

 祐経は、所領を横領した祐親を狙ったそうですが、誤って祐泰を殺害してしまったのだと伝えられています。

 殺された祐泰には十郎と五郎という子がありましたが、2人の母満江御前曽我祐信と再婚すると、祐信のもとで育てられ「曽我」を名乗ります。

 のちの1193年(建久4年)、源頼朝が催した富士裾野の巻狩りの際に、仇討を決行して見事に工藤祐経を討ち取った曽我兄弟がこの2人です。 


河津三郎祐泰の血塚
リンクボタン河津三郎祐泰の血塚



〜河津掛〜

 狩猟の余興での相撲対決のことです。

 21連勝中の俣野景久に対するのは力自慢の河津祐泰。

 祐泰はのちに「河津掛」と呼ばれる技で景久を破ったのだといいます。


河津祐泰の墓
リンクボタン河津祐泰の墓
(伊東市・東林寺)

俣野観音堂
リンクボタン俣野観音堂
(横浜市戸塚区)

 俣野景久は、相模国俣野郷を領した武将で、大庭景義大庭景親の弟。

 俣野観音堂には景久の守護仏が安置されています。



戻る
伊東祐親の娘八重姫との恋
次のページ
怪僧文覚との出会い



源頼朝







編集:yoritomo-japan.com


鎌倉手帳
(鎌倉情報トップ)