中世歴史めぐり

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家康生誕地 東照宮

徳川家康



大久保忠世の先祖は源頼朝に仕えた宇都宮朝綱?


編集:yoritomo-japan.com








大久保忠世


 徳川家康の家臣・大久保忠世は、源頼朝に仕えた下野国宇都宮氏の三代当主・朝綱の子孫といわれる。

 下野国宇都宮氏は、近江国の石山寺の座主だったという藤原宗円を祖とし、代々、宇都宮二荒山神社の社務を統括する最高責任者(社務職)を務めていた。

 南北朝期、朝綱の子孫・宇都宮泰藤は新田義貞に仕え、越前国で義貞が戦死すると三河国に移り住んだのだという。

 泰藤の孫の泰道は宇都宮から宇津に姓を改め、宇津泰道の孫の昌忠が松平氏三代当主の信光に仕えたのだとか。

 そして、昌忠の孫の忠茂または曾孫の忠員が大久保を名乗ったらしい。

 忠員の子が大久保忠世。

 これらの繋がりを立証する資料は存在しないらしいが・・・

 宇都宮泰藤が仕えていたという新田義貞の先祖新田義重は、家康が先祖と称していた武将。

 松平氏の祖は、義重の四男・義季の子孫といわれる松平親氏。

 これらが本当だとすれば、大久保忠世は家康に仕えるために生まれてきたのかも・・・




松平氏館跡
リンクボタン松平郷

 三河国加茂郡松平郷は、徳川家康が祖と仰ぐ新田義重の子孫・親氏が辿り着いた地。



二俣城跡
リンクボタン二俣城跡
(浜松市)

 1575年(天正3年)の長篠の戦い後、忠世は二俣城を与えられた。

 1579年(天正7年)9月15日、この城で家康の嫡男信康が切腹している。 



小田原城
リンクボタン小田原城
(小田原市)

 1590年(天正18年)の小田原征伐後、忠世は小田原城を与えられている。

 城下に菩提氏の大久寺信康供養のための萬松院を創建。

 宇都宮泰藤が新田義貞の首を葬った地とされる首塚も城下にある。

 信康を自害させたことを悔やんでいたという忠世は、1594年(文禄3年)、信康が自害した日と同じ9月15日に死去。

 自身が創建した大久寺に葬られた。










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