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長 安 寺
〜道長一族が結縁した霊牛〜

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長安寺


 長安寺(ちょうあんじ)は、日本三大仏の一つ弥勒仏が置かれていた関寺を前身とする寺。

 弥勒仏は「関寺大仏」と呼ばれ、東大寺・知識寺の廬舎那仏に並び称されていたのだという。

 関寺の創建年は不明。

 逢坂の関付近にあった大寺院だったが、南北朝期には廃絶したものと考えられている。

 その旧跡に建てられたのが長安寺とされている。





長安寺牛塔
牛塔

 長和年間(1012−1017)、荒廃していた関寺の復興を恵心僧都源信が発願し、弟子の延鏡が遂行。

 再興の資材運搬は、清水寺から遣わされた一頭の牛が活躍。

 その牛は、迦葉如来の化身で関寺の建設を助けるために現れたのだという。

 その噂が広まり、1025年(万寿2年)5月16日には藤原道長源倫子藤原頼通・藤原教通が霊牛と結縁したのだと伝えられている。

 5月30日、霊牛は完成した堂を三度巡って、6月2日に入滅。

 道長や頼通に重んじられていた園城寺の心誉が供養し、裏山に葬られたのだという。

 巨大な牛塔は、霊牛が埋葬された地に藤原頼通が建てたと伝えられている。



逢坂関
リンクボタン逢坂の関

 逢坂の関は、山城国と近江国の国境に置かれた関所。

 関寺の霊牛と結縁するため藤原道長源倫子藤原頼通・藤原教通が参拝したことで、逢坂の関は関寺詣で大賑わいとなったのだという。





小野小町供養塔
小野小町供養塔

 老衰零落した小野小町が関寺の近くに庵を結んでいたとする伝説がある。





一遍上人供養塔
一遍上人供養塔

 1284年(弘安6年)、時宗開祖の一遍が関寺に滞在し「踊り念仏」を奉納している。





百体地蔵
百体地蔵

 1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちで、比叡山山麓に埋もれていたという地蔵尊。




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長安寺
長安寺

滋賀県大津市逢坂2−3−18

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