|
興福寺の西金堂(さいこんどう)は、734年(天平6年)、光明皇后が母・橘三千代の一周忌に際し、その冥福を願って創建した。 中金堂の西の金堂。 本尊の釈迦如来像、薬王・薬上菩薩像、梵天・帝釈天像、十大弟子像、八部衆像、金剛力士像、四天王像などが安置されていた。 度重なる焼失と再建を繰り返してきたが、1717年(享保2年)の焼失後は再建されていない。 |
興福寺を創建した藤原不比等の娘。 東大寺を創建し大仏を造立した聖武天皇の皇后。 |
木造仏頭 (鎌倉時代) |
西金堂の本尊丈六釈迦如来像の頭部。 1186年(文治2年)頃のもので成朝の作とされてきたが、1180年(治承4年)の南都焼討後の復興に尽力した信円の日記から、運慶の作とする説が有力となっている(重要文化財・国宝館に安置)。 脇侍の薬王・薬上菩薩像は、中金堂に安置。 |
成朝(せいちょう)は、奈良仏師の正系で康慶・運慶父子の兄弟子。 1185年(元暦2年)、鎌倉へ下向し、源頼朝が建立した勝長寿院の造仏を手掛けている。 南都焼討後の復興では、東金堂と食堂の造仏を任されていたというが・・・ 東金堂の薬師如来は飛鳥の山田寺から強奪したきたものが置かれ、食堂の千手観音像は完成せず、現在国宝館に収蔵されている食堂の千手観音は1229年(寛喜元年)頃の作とされている。 |
乾漆造阿修羅像 (鎌倉時代) |
阿修羅像は、西金堂に安置されていた八部衆像の一人。 奈良時代のもので国宝。 現在は国宝館に安置。 |
2025年、 鎌倉復興期の北円堂が再現される! |
興福寺は、平城京遷都の710年(和銅3年)に創建された藤原氏の氏寺。 平安時代には南都七大寺に数えられ、古代・中世を通じて大和国を支配した。 |
奈良市登大路町48番地 JR奈良駅から市内循環バス「県庁前」下車すぐ。 近鉄奈良駅から徒歩5分。 |
![]() |
興福寺は世界文化遺産 (古都奈良の文化財) |
大きい地図を見るには・・・右上のフルスクリーンをクリック。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|