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五條天神社
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五條天神社


 五條天神社は、794年(延暦13年)、弘法大師空海が創建したという古社。

 かつては天使の宮、天使社などと呼ばれていたが、後鳥羽上皇の時代に五條天神宮と改められたのだという。

 神社北側の松原通が五条通と呼ばれていたことによる。

 『義経記』によると、源義経(牛若丸)と弁慶が出会った場所がこの社の近くなのだとか・・・。

 節分の日には、日本最古といわれる宝船図が授与される。


祭神

少彦名命
(すくなびこなのみこと)
大巳貴命
(おおなむぢのみこと)
天照皇大神
(あまてらすおおみかみ)









義経と弁慶と言えば・・・
五条大橋の伝説

義経と弁慶
リンクボタン牛若丸と弁慶の像


『義経記』によると・・・
義経と弁慶の最終決戦の場は
清水の舞台

清水の舞台
リンクボタン清水の舞台





〜義経と弁慶の対決〜

 『義経記』によれば・・・

 1176年(安元2年)6月、五條天神社で源義経と出会った弁慶。

 1000本目の太刀を奪いたい弁慶は義経に襲いかかるが、離れ業で弁慶の太刀をかわす義経。

 その夜は決着がつかなかった。

 翌日は清水寺の祭礼。

 門前で義経を見つけた弁慶は、薙刀で襲いかかるが、またしても軽くあしらわれてしまい、清水の舞台で勝負することに。

 しかし、弁慶は義経に負けて主従の契りを結んだのだとか・・・



源義経をめぐる京都

源義経に臣従した武蔵坊弁慶









五條天神社
五條天神社

京都市下京区松原通西洞院西入

市営地下鉄烏丸線「四条」または「五条」駅下車
徒歩10分

阪急「烏丸駅」下車徒歩約10分



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