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1968年(昭和43年)建立。 本尊は、秘仏の不動明王(重要文化財)。 両脇には右に矜羯羅童子、左に制咤迦童子が置かれている(重要文化財)。 不動明王は、810年(弘仁元年)、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が彫ったという像で、940年(天慶3年)、奉安されていた京都の神護寺から平将門調伏の本尊として運ばれたものと伝えられるが、鎌倉時代の作ではないかともいわれている。 |
![]() (前本堂) |
![]() (旧本堂) |
成田山新勝寺は、朱雀天皇の密勅により東国へ遣わされた寛朝僧正が、下総国で平将門調伏のための護摩焚きを行ったことに始まる。 大坂から船出した寛朝は、祈祷の本尊として京都・神護寺の不動明王(弘法大師空海作)を奉じていた。 940年(天慶3年)、下総国に上陸した寛朝は、21日間におよぶ護摩焚きを行い、平将門の調伏に成功。 将門滅亡後、寛朝は不動明王を奉じて京都へ戻ろうとするが、「王城へは帰らず東国を鎮護する」という不動明王のお告げを受けた。 そのため、成田の地に堂宇が建立され、朱雀天皇より「神護新勝寺」の寺号が与えられたのだという。 それが成田山新勝寺の始まりと伝えられている。 |
![]() (京都:神護寺) |
![]() ![]() (京都市下京区) |
討たれた将門の首級は京都で晒され、三日後、白光となって舞い上がり、故郷へ向かって飛んで行ったのだと伝えられている。 |
![]() ![]() (東京千代田区) |
![]() ![]() (東京千代田区) |
成田山新勝寺は、寛朝僧正が平将門調伏のための護摩焚きを行ったことに始まる。 源頼朝も信仰し、平氏討滅祈願を行ったという。 |
千葉県成田市成田1番地 京成電鉄「京成成田駅またはJR「成田駅」より徒歩10分 |
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