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南都焼討と
東大寺・興福寺

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 1180年(治承4年)、以仁王の挙兵によって平氏打倒の気運が高まり、8月には伊豆国に流されていた源頼朝が挙兵(参考:源頼朝の挙兵)。

 一方、平清盛は、全国で反平氏勢力の蜂起が続く中、東大寺興福寺の反平氏勢力を一掃するため、五男重衡を南都に向かわせ、12月28日には「南都焼討」を決行した。


東大寺
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興福寺
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東大寺の大仏
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 源頼朝は、東大寺大仏の鋳造、大仏殿の造営に多大な協力をし、1195年(建久6年)に上洛して、大仏殿の落慶供養に参列している(参考:南都焼討と東大寺の再興〜重源と源頼朝〜)。

 その折、東大寺の鎮守手向山八幡宮から、鶴岡八幡宮に伝えられている「菩薩面」を贈られたという。


手向山八幡宮
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(東大寺の鎮守)
春日大社
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(藤原氏の氏神)







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