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北条義時2022年の大河は「鎌倉殿の13人」  合戦承久の乱  後鳥羽天皇後鳥羽上皇  武士北条義時

清水寺の北総門

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清水寺北総門


 清水寺の北総門は、塔頭成就院の正門だった。

 現在の建物は寛永年間に再建された薬医門。



北総門前の3つの石碑

 北総門前の石碑は、成就院の第24世月照上人と、実弟で成就院25世信海上人の歌碑、そして西郷隆盛の弔詞碑。

 月照は幕末の尊皇攘夷派の僧で、大老井伊直弼から危険視され、安政の大獄で追われる身となり、西郷隆盛の手引きで薩摩に逃れたが、薩摩藩では受け入れを拒否され、1858年(安政5年)11月16日、死を覚悟して隆盛とともに錦江湾に入水した。隆盛は助けられたが月照は非業の死を遂げている。

 その翌年には、弟の信海も尊皇攘夷祈祷の嫌疑で逮捕され、江戸で獄死している。

 のちに隆盛は、弔意の漢詩を詠んだという。


清水寺北総門石碑


大君のためにはなにかお(惜)しからん薩摩の迫門(瀬戸)に身は沈むとも
:月照

西の海あずま(東)のそら(空)とか(変)はれどもこころ(心)はおなじ君が代のため
:信海

相約して淵に投ず、後先無し。豈図(あにはか)らんや波上再生の縁。頭(こうべ)を回らせば十有余年の夢。空しく幽明(ゆうめい)を隔てて墓前に哭(こく)す
:隆盛


京都:清閑寺茶室
リンクボタン茶室「郭公亭」
(清閑寺)

 子安塔の先にある清閑寺の茶室では、月照と西郷隆盛の密談が行われたという。






歴史めぐり源頼朝



清水寺
リンクボタン清水寺

 清水の舞台で知られる清水寺。西国観音霊場の第十六番札所。
 源頼朝は、三歳のときに清水寺から下された二寸銀の聖観音像を守り本尊とし、1180年(治承4年)の挙兵の際には、髷の中に納めていたという(参考:鎌倉・源頼朝墓)。



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