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石山寺の御影堂

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石山寺御影堂


 真言宗開祖の弘法大師、石山寺第三代座主で中興の祖といわれる淳祐の遺影を安置する堂宇(重要文化財)。

 もとは、三昧堂または法華堂と呼ばれ法華三昧の道場だったが、淳祐の住居であった普賢院が倒壊したため、普賢院にあった弘法大師・良弁・淳祐の御影が移されたことにより御影堂となった。



〜三代座主の淳祐〜

 淳祐(じゅんゆう)は菅原道真の孫。

 般若寺の観賢(かんげん)に師事して出家・受戒。

 925年(延長3年)、観賢から指導者としての位を授かる伝法灌頂を受けた。

 醍醐寺寺主就任を辞退した後、石山寺普賢院に隠棲。

 921年(延喜21年)、師の観賢とともに高野山の奥の院御廟を訪れて弘法大師の膝に触れたといわれ、その際、妙香の薫りが手に移り、一生消えることがなかったのだという。

 そのため、「淳祐内供筆聖教」(国宝)は「薫聖教」(かおりのしょうぎょう)と呼ばれている。


 淳祐師の観賢は、仁和寺別当・醍醐寺座主などを勤めた高僧。
 石山寺の二代座主でもある。








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石山寺
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 石山寺は、聖武天皇の勅願によって良弁が開いた。
 東大寺との関りが深い寺院。
 日本最古といわれる国宝の多宝塔は、源頼朝の寄進と伝えられる。



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