鎌倉手帳(寺社散策)

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浄智寺の開山と開基

編集:yoritomo-japan.com








 浄智寺がいつ創建されたのかは定かではないが・・・

 1281年(弘安4年)以降の創建と考えられている。

 開山も開基も複雑な寺だが・・・

 開山は兀菴普寧(ごったんふねい)、

 請待(しょうたい)開山が大休正念(だいきゅうしょうねん)、

 準開山が南洲宏海(なんしゅうこうかい)ということのようである。


 開山の兀菴普寧は、1260年(文応元年)に宋より来日。

 五代執権北条時頼に招かれて建長寺二世となったが、1263年(弘長3年)に時頼が亡くなると、1265年(文永2年)には帰国してしまったのだという。

 開基とされる北条宗政はまだ若く、師時はまだ生まれていないときのこと。


 創建当時の経緯は定かではないが・・・

 若くして亡くなった北条宗政(五代執権北条時頼の三男)の未亡人が、宗政と子師時を開基とし、南洲宏海を開山に招いたが、

 宏海はまだ若年だからという理由で円覚寺二世の大休正念に供養を行ってもらい、師であった兀菴普寧を開山としたという説が妥当だろうと考えられている。



十代執権北条師時(okadoのブログ)





〜兀菴普寧〜

 建長寺二世の兀菴普寧は、本尊地蔵菩薩に礼拝をしなかったのだといわれる。

 その理由は、菩薩はまだ修行の身であり、自分は悟りを得た仏であるので、菩薩より位が上だから。

 北条時頼の要請で建長寺に住持したのだが、時頼が死ぬと間もなく中国に帰ってしまったのだか。

 かなり気難しい者で「兀庵」(ごったん)という名から「ごたごた」という言葉が生まれたのだと伝えられている。



建長寺・地蔵菩薩坐像
リンクボタン建長寺地蔵菩薩










浄智寺
リンクボタン浄智寺

 浄智寺は、鎌倉五山の第四位。
 その格式にふさわしく、盛時には、蔵雲庵・正昭庵・正源庵などの塔頭や諸堂があったという。


鎌倉市山ノ内1402
0467(22)3943

北鎌倉駅より徒歩10分



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