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一ノ谷の戦いで熊谷直実に討たれた平敦盛の五輪塔。 敦盛は、平清盛の弟・経盛の末子。 1184年(寿永3年)2月7日、源義経の奇襲で平家軍が劣勢になると、敦盛は騎馬で海上の船に逃れようとするが、熊谷直実に呼び止められてしまう。 取って返した敦盛を直実は馬から組み落として首を斬ろうとするが、我が子・直家と同じ年頃の若武者を見て躊躇したのだと伝えられている。 このとき敦盛は16歳。 涙ながらに敦盛の首をとった直実は、のちに世の無常を感じ出家している。 この供養塔は、北条貞時が平家一門を供養するために建立したもので、「あつめ塚」と呼ばれていたが、いつの頃からか「あつもり塚」と呼ばれるようになったのだという説もある。 |
源平の庭 (須磨寺) |
敦盛塚 (須磨寺首塚) |
敦盛首洗い池 (須磨寺) |
源義経腰掛の松 (須磨寺) |
唱歌『青葉の笛』〜平敦盛と平忠度の最期〜 |
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