鎌倉手帳(寺社散策)

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二月騒動
北条一門の紛争

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〜名越時章・教時兄弟の誅殺〜

 1272年(文永9年)2月11日、執権北条時宗は、謀反の疑いで名越時章、教時兄弟を誅殺した。

 二人の長兄は、宮騒動で追放された名越光時。

 教時は、謀反の罪で将軍を廃され追放された宗尊親王の側近で反得宗勢力と考えられていた。

 宗尊親王が京へ送還されるときも反対し、軍勢を率いて宿所に駆けつけ、時宗に制されている。



〜北条時輔の誅殺〜

 鎌倉で名越時章、教時兄弟が誅殺された4日後の15日、執権北条時宗の命により六波羅探題南方の北条時輔が同じく北方の北条義宗に討たれている。

 こちらも謀反の疑いがあるとしての誅殺であった。

 時輔は時宗の異母兄。

 宗尊親王に仕え、1264年(文永元年)、六波羅探題南方へ出向していた。

 時輔と時宗の父時頼は、得宗家の後継の序列を時宗(次男)、宗政(三男)、時輔(長男)の順とし、正室から生まれた二人を時輔の上位に置いた(時輔は側室が生んだ子)。

 時輔の「輔」は、時宗を「輔ける」という意味があるといわれている。









 騒動の真相は明らかではないが、騒動後、名越時章は無罪であったとして、討手となった5名が斬罪に処せられるという事件も起こっている。

 しかし、蒙古襲来を前にして、得宗 北条時宗を中心とする独裁体制が強化されたことに間違いはない。



蒙古襲来前の内乱・・・北条時宗と二月騒動(okadoのブログ)





〜日蓮の予言〜

 日蓮は、流されていた佐渡の塚原で行われた諸宗との「塚原問答」の中で、近いうちに鎌倉で騒動が起こると予言していたことが知られている。

 予言の一ヶ月後に起こったのがこの二月騒動であった。

 日蓮は、『立正安国論』のなかでも、「自界叛逆難」と「他国侵逼難」を予言している。

 「自界叛逆難」とは内乱、「他国侵逼難」とは他国からの侵略のこと。



立正安国論〜鎌倉と日蓮〜(okadoのブログ)








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