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| 大町釈迦堂口遺跡は、釈迦堂切通の東側、衣張山西側中腹にある遺跡で、2008年(平成20年)の発掘調査まで、鎌倉幕府初代執権の北条時政邸とされてきた。 しかし、最も古い遺構でも13世紀後半頃のもの推定され、時政が没した時期からすると「北条時政邸ではない」という判断が下された。 また、「建物跡」や「やぐら」などが新たに発見され、寺院跡の可能性が高いとのこと。 そのため、史跡名も「北条時政邸跡」から「大町釈迦堂口遺跡」と変更されている。 北条泰時が義時を弔うために建てた「釈迦堂」かもしれないという説も・・・???。 |
| 2010年(平成22年)、国史跡に指定。 史跡の指定範囲は、名越ヶ谷と呼ばれる谷戸の最奥部に位置している平場と、その周辺の山稜部。 山稜部には、唐糸の伝説が残された「唐糸やぐら」や壁面に彫られた丸い穴が特徴の「日月やぐら」などのやぐら(墳墓)が数多く存在。 2016年(平成28年)には、日本遺産「いざ、鎌倉」の構成文化財にも認定されている。 |
| 1953年(昭和28年)、大町釈迦堂口遺跡の周辺の個人の庭園で発掘された青磁鉢。 鎌倉時代のものと考えられ、いずれも重要文化財に指定されている(東京国立博物館所蔵)。 |
| 2026年 期間限定公開 |
| 大町釈迦堂口遺跡は公開されていませんでしたが、危険木伐採や転落防止柵の設置などの整備が一部完了したことから期間限定で公開される予定。 |
| 源頼朝を暗殺しようとした唐糸 |

| 源頼朝の暗殺を企てた「唐糸」が幽閉されていたと伝えられるやぐら。 頼朝の従兄弟・木曽義仲は、頼朝の様子をうかがうため、琵琶と琴の名手だった唐糸(義仲の家臣手塚太郎光盛の娘)を鎌倉に送り込んだ。 唐糸は、頼朝が義仲を討とうとしていることを知ると、頼朝を暗殺しようとするが、頼朝にその企てを覚られ、釈迦堂近くの「やぐら」に幽閉されてしまう。 それを救ったのが娘の万寿姫で、姫は頼朝に仕えると鶴岡八幡宮に奉納する舞の舞姫に選ばれ、その舞が頼朝に気に入られた。 頼朝の「何でも望みのものをやる」との言葉に、「母親を助けてほしい」と頼んだそうである。 頼朝は驚いたが、その願いを聞き入れたのだという。 |
| 唐糸やぐらの横にある石仏が置かれたやぐら。 |
| 日月やぐらは、釈迦堂切通上にある「日と月」を模った納骨穴を内部壁に持つもの。 |
| アクセス |
| 鎌倉駅東口から徒歩約30分 鎌倉駅から「緑ヶ丘入口」行きバス 「名越」下車 徒歩15分 釈迦堂切通が通行止めなので浄明寺側からは行けません。 大町側からのアクセスとなります。 |

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