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柳之御所遺跡は、『吾妻鏡』に記された平泉館の跡と考えられている。 奥州藤原氏の祖・清衡が豊田館(奥州市)から平泉に移り居館を構えた所で、三代秀衡が鎮守府将軍・陸奥守に任ぜられたことで、政庁(平泉館)として整備された(参考:伽羅御所跡)。 『吾妻鏡』によると・・・ 1189年(文治5年)、源頼朝が奥州へ攻め入ると、8月11日、四代泰衡は平泉館を焼き払って逃亡。 平泉館はあっという間に灰燼に帰してしまったのだという。 「平泉〜仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群〜」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されている。 |
金色堂の正方(正面)に無量光院の北に並べて平泉館があって、西木戸には秀衡の長子国衡、四男隆衡の家が並び、三男忠衡の家は泉屋の東にあった。 秀衡は、無量光院の東門の一郭に屋敷(伽羅御所)を構え、次男泰衡が相続して居所にしていた。 |
2021年(令和3年)にオープンした世界遺産ガイダンスセンターには、柳之御所遺跡を紹介するコーナーが設けられている。 |
柳之御所遺跡で発見された板絵には、ススキと扇を手にしたカエルが描かれ、京都・高山寺の国宝 「鳥獣人物戯画」と同時期のものと推測されている。 |
岩手県西磐井郡平泉町平泉伽羅楽108−1 JR平泉駅から徒歩10分程度 |
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