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品川神社は、1187年(文治3年)に源頼朝が安房国の洲崎明神の「天比理乃当ス」(あめのひりのめのみこと)を勧請し、海上交通の安全と祈願成就を祈った神社とされている。 その後、1319年(元応元年)に二階堂道蘊が「宇賀之売命」(うかのめのみこと)を、1478年(文明10年)に太田道灌が「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)を祀った。 1600年(慶長5年)には、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の際に戦勝を祈願している。 |
天比理乃当ス 宇賀之売命 素戔嗚尊 |
◎二階堂道蘊 鎌倉御家人。 鎌倉の二階堂の瑞泉寺は、道蘊が夢窓疎石を招いて瑞泉院を創建したのがはじまりといわれている。 |
◎太田道灌 扇谷上杉家に仕え、江戸城・河越城を築いた戦国武将。 鎌倉の英勝寺は道灌の居館跡に建てられたものといわれている。 |
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、祈願成就の御礼として奉納したのが「天下一嘗(てんかひとなめ)の面」と「葵神輿」。 「天下一嘗の面」は、室町時代の作と考えらる舞楽面。江戸時代中期、「神輿に付けて廻れば苦しみから救われる」とのお告げがあったことから、例大祭では無病息災・幸福招来を祈願して面を神輿に付けて渡御する。 「葵神輿」の名は、勝海舟が付けたといわれ、品川区の有形文化財に指定されている。 |
品川神社の例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ6月に行われる。 神幸祭では、皇室の御慶事があった年には1884年(明治17年)奉納の「大神輿(千貫神輿)」が、例年は1924年(大正13年)奉納の「中神輿」が渡御する。 神輿の屋根には、徳川家康奉納の「天下一嘗の面」が付けられ、品川区の無形民俗文化財に指定されている「品川拍子」の拍子によって神輿の進行の緩急や上げ下ろしが行われる。 「品川拍子」の起源は、徳川家康が「葵神輿」を奉納したときとされている。 |
品川神社の太太神楽は、1570年〜1573年の元亀年間頃から始められたと伝えられ、関ヶ原の戦いの際には、徳川家康が奉納したという記録が残されている。 1963年(昭和38年)、東京都技芸無形文化財の指定を受けた。 |
徳川家光の側近堀田正盛が1648年(慶安元年)に寄進したもの。 都内では上野東照宮に次いで2番目に古いもの。 同時に奉納された水盤とともに貴重な石造遺物として品川区の有形文化財に指定されている。 |
1648年(慶安元年)に石工の亀岡政重と装剣具彫刻工の後藤光利が寄進したもの。 現在は浅間神社前に置かれているが、もとは拝殿前に置かれていた。 貴重な石造遺物として品川区の有形文化財に指定されている。 |
1869年(明治2年)から1872(明治5年)にかけて築かれた。 この富士塚に登ることで富士山に登ったのと同じご利益があるとされている。 毎年7月に行われる「品川丸嘉講」による山開きの神事は、品川区の無形民俗文化財に指定されている。 |
世界文化遺産「富士山」 富士山本宮浅間神社 |
浅間神社 |
祖霊社 |
阿部稲荷神社 |
一粒萬倍の泉 |
阿部稲荷神社は上社と下社からなり、上社は「天の恵みの霊」を下社は「地の恵みの霊」と「霊泉」を祀っている。 「一粒萬倍の泉」で印鑑や銭をそそぎ、門前の商家でその銭の一部を使うと吉といわれている。 |
大黒天 |
龍の彫刻 |
東京都品川区北品川3−7−15 京急「新馬場駅」徒歩1分 |
60年に一度の祭礼 |
源頼朝も祀る! |
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