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「泣塔」(なきとう)とは、洲崎古戦場近くに建つ宝篋印塔。 1356年(文和5年)の銘があり鎌倉市の有形文化財に指定されている。 洲崎では、1333年(元弘3年)、新田義貞と赤橋守時の軍が激しい戦いを繰り広げられた。 泣塔は、背後に「やぐら」もあることから、この戦いの戦死者の供養塔と考えられている。 「かつて、泣塔は、手広の青蓮寺に移されたが、毎晩、すすり泣く声が聞こえたので元の場所に戻された」という伝承が残されていることから、「泣塔」と呼ばれるようになったという。 この辺りの地名をとって「陣出の泣塔」と呼ばれている。 |
1333年(元弘3年)5月22日、稲村ヶ崎から鎌倉に突入した新田義貞は、北条高時をはじめとする北条一族を自刃に追い込んだ。 |
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鎌倉市寺分上陣出424 湘南モノレール「湘南深沢駅」より徒歩2分 |
洲崎は、1333年(元弘3年)、鎌倉を攻める新田義貞と鎌倉幕府最後の執権北条守時が戦った古戦場。 |
〜手広・笛田・梶原・寺分・上町屋・山崎の史跡巡り〜 |
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