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岡崎神社は、794年(延暦13年)、桓武天皇が平安京遷都の際に、王城鎮護のため、都の四方に建立した社の一つ。 都の東に位置することから別名「東天王」とも呼ばれた社。 創建当初は北白川にあったが、869年(貞観11年)、現在地に移転し、清和天皇の勅命により社殿が造営されたのだという。 1319年(元応元年)、後醍醐天皇が再建、1452年(享徳元年)には室町幕府八代将軍足利義政が修造したという。 かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる。 |
素戔嗚尊 (すさのおのみこと) 櫛稲田媛命 (くしなだひめのみこと) 三女五男八柱御子神 (やはしらのみこがみ) |
播磨国からやってきた牛頭天王 (素戔嗚尊) |
社伝によると・・・ 869年(貞観11年)に社殿を造営した際に播磨国の廣峯より迎えられたのが祇園精舎の守護神・牛頭天王。 牛頭天王は素戔鳴尊と同一とされていた神。 伝説によると・・・ 播磨国の明石浦(兵庫県明石市)の地に現われた牛頭天王は、廣峯(姫路市)に移り、さらに京都の東光寺(岡崎神社)に移り、元慶年間(877−885年)、感神院(八坂神社)に移ったのだとか。 |
※ | 東光寺(廃寺)は、陽成天皇の母・藤原高子の御願寺だった寺で、岡崎神社は東光寺の鎮守社だった。 |
参考までに・・・ 岡崎神社に牛頭天王(素戔嗚尊)が勧請された869年(貞観11年)は疫病が大流行した年。 神泉苑では、牛頭天王(祇園神)を祀る御霊会が執り行われている(祇園祭の始まり)。 |
八坂神社は、明治の神仏分離まで牛頭天王を祭神としていたことから「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていた社。 |
梛神社は、元祇園社と呼ばれる社。 岡崎神社と同じ869年(貞観11年)に播磨国の広峰神社から牛頭天王を勧請したのだとか。 |
祇園祭は八坂神社の祭礼。 869年(貞観11年)6月14日、神泉苑に当時の国の数である「66」の矛を立て、神輿3基を送って、牛頭天王(祇園神)を祀る御霊会を執り行ったことに始まると伝えられている。 |
うさぎの社 |
金運招き兎 |
縁結び招き兎 |
祭神の素戔嗚尊と櫛稲田媛命は子宝に恵まれた安産の神。 二人の神がもうけた八人の子が、もう一人の祭神・八柱御子神。 野兎も多産なことから狛兎を撫でて祈願するのだとか。 |
八坂神社の祭神も岡崎神社と同じ素戔嗚尊・櫛稲田媛命・八柱御子神。 ただ、八坂神社の八柱御子神は三男五女だが、岡崎神社は三女五男。 男女が逆。 八坂神社の八柱御子神は、男神が八島篠見神・五十猛神・大屋比売神、女神が抓津売神・大年神・宇迦之御魂神・大屋毘古神・須勢理毘売命ということだが・・・ 岡崎神社は??? |
京都市左京区岡崎東天王町51 ・市バス《32系統》《203番系統》《93番系統》《204系統》「岡崎神社前」下車 ・市バス《5系統》「東天王町」下車 ・京阪 神宮丸太町駅下車 ・地下鉄東西線 蹴上駅下車 |
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