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十二妃の墓
藤原忯子と女官の墓
~花山院菩提寺~

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十二妃の墓


 花山法皇が隠棲地とした菩提寺周辺の地名は「尼寺」(にんじ)。

 花山法皇(天皇)は、寵愛していた女御・藤原忯子が死去した後、藤原兼家道兼父子の策略により元慶寺で出家(寛和の変)。

 その後、花山法皇が東光山(菩提寺)に隠棲すると、法皇付きの女官11名が忯子の位牌を奉じて訪ねて来たが、女人禁制だったため尼となり麓に住み着いたことに因むのだという。

 尼寺には、藤原忯子と11人の女官の墓がある。



十二妃の墓


尼寺





(参考)
法住寺
リンクボタン法住寺
(京都)

 法住寺は、花山天皇に寵愛された藤原忯子の父・藤原為光が妻と忯子の菩提を弔うために創建。

 忯子の兄藤原斉信の娘は法住寺に葬られている。



~忯子は何故死んだ?~

リンクボタン藤原忯子の懐妊と死~花山天皇は?父藤原為光は?~










十二尼妃の墓
十二妃の墓

兵庫県三田市尼寺126-7

三田駅北口から
乙原バレー行または母子行バス
「尼寺北口」下車


花山院菩提寺
リンクボタン花山院菩提寺

兵庫県三田市尼寺352

三田駅北口から
乙原バレー行または母子行バス
「花山院」下車 徒歩20分



中山寺・花山院菩提寺MAP
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