鎌倉手帳(寺社散策)

鎌倉殿の13人 二代執権北条義時
特集!「鎌倉殿の13人」伊豆国編 特集!「鎌倉殿の13人」鎌倉編



歴史めぐり源頼朝
〜それぞれの石橋山:
佐奈田与一義忠〜








 石橋山の戦いで、源頼朝の命により先陣を務めた佐奈田与一義忠は、大庭景親の弟俣野景久と戦います。

 いったんは、景久を組み伏せた義忠でしたが、刀を抜くことができず、 景久を助けに来た長尾定景に討たれてしまいました。

 敵将を討ち取った際に、刀を拭わずに鞘に差したため、血のりで抜くことができなかったのだといいます。

 義忠が討ち取られた場所は「ねじり畑」と呼ばれていますが、この畑の作物は、全て「ねじれてしまう」という言い伝えが残されているそうです。

 主人義忠が討死すると、郎党の文三家康は、敵陣に斬り込み8人を討ち取った後、稲毛重成の手勢によって討たれと伝えられています。


ねじり畑(石橋山古戦場)
リンクボタンねじり畠
(小田原市・石橋山) 

佐奈田霊社(石橋山古戦場)
リンクボタン佐奈田霊社
(小田原市・石橋山)
文三堂(石橋山古戦場)
リンクボタン文三堂
(小田原市・石橋山)


 のちに義忠が討死した場所には「与一塚」が建てられ、義忠を神霊とする佐奈田霊社が建立されました。

 義忠は「戦いの最中にタンがからみ、助けを呼ぶことができず、それが原因で討ち取られてしまった」という伝説から、咳の神様として親しまれています。

 1190年(建久元年)正月20日、二所詣でに出掛けた頼朝は、途中、石橋山の義忠と文三の墓に詣でて涙を流したといいます。


天徳寺の与一廟
真田尊(平塚市)
リンクボタン真田尊
(平塚市)
義忠の菩提所
証菩提寺(横浜市)
リンクボタン証菩提寺
(横浜市栄区)



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源頼朝







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