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永 観 律 師
京都:永観堂禅林寺第七世


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 禅林寺(永観堂)の第七世・永観は、文章生・源国経の子で、石清水八幡宮別当元命の養子となった。

 1043年(長久4年)、11歳のときに禅林寺の深観(じんかん)のもとで出家。

 翌年東大寺に入って三論・法相・華厳教学を学んだ。

 1062年(康平5年)、山城国光明寺に隠棲し念仏の行を修した。

 1072年(延久4年)に禅林寺へ戻り、禅林寺第七世となった永観は、境内に薬王院を設けるなど慈善事業を行う一方で、念仏の布教を行った。

 1099年(康和元年)には権律師に任ぜられ、翌1100年(康和2年)には東大寺別当に就任している。

 のちに禅林寺に戻った永観は、『往生講式』(おうじょうこうしき)や『往生拾因』(しゅういん)などを著し、念仏の民間布教に努めている。

 1111年(天永2年)11月2日示寂。



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永観堂
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 禅林寺は、第七世永観の名にちなんで「永観堂」と通称されている寺院。
 浄土宗西山禅林派の総本山。


京都市左京区永観堂町48

地下鉄東西線「蹴上駅」下車 徒歩15分
市バス「南禅寺・永観堂道」下車 徒歩3分市バス「東天王町」下車 徒歩5分



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