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鎌倉七座
〜商工業者の組合〜

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 鎌倉は武家政権の中心地として繁栄し、それに伴って、人口が増加するとともに商業も発展していった。

 鎌倉幕府は、増加する商人に対して、商人の数を制限したり、商業のできる場所を制限する小町屋の指定も行っている(参考:商人に関する規制)。

 このように鎌倉の人口が増加し、商業が発展したことによって「鎌倉七座」という言葉も生まれた。

 「座」というのは、販売や製造の独占権を持つ組合のようなもので、その「場所」あるいは「店」というような意味から「座」と呼ばれるようになったという。





〜鎌倉七座〜
 「鎌倉七座」という言葉は、南北朝期の僧玄恵(げんえ)が著したといわれている『庭訓往来』(ていきんおうらい)に、絹座、炭座、米座、檜物座、千朶積座、相物座、馬商座の七座が記されている。 



檜物座

 「檜物」とは、ヒノキの皮で作る曲物(容器)のこと(材木座)。


千朶積座

 商品を高く積み上げるものを千朶積(せんだづみ)と呼んでいた。何が高く積み上げられていたのかはわからない。


相物座

 「相物」とは、生干しの魚。


馬商座

 馬方の組合で「博労座」ともいわれた。


和賀江嶋


 これらの座が鎌倉の何処にあって、実際にあった座であるのかは不明だが、現在も地名として残されている材木座や材木の陸揚げなどに使用された和賀江嶋、鎌倉幕府による小町屋の指定などで見られる米町や魚町といった地名からすると、おおよそその辺りにあったものと推測できる(参考:商人に関する規制)。

 また、滑川が延命寺付近で「炭売川」と呼ばれていたことから、「炭座」についてはこの辺りにあったものと考えられる(参考:滑川沿いの鎌倉)。









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