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京都:報恩寺
〜撞かずの鐘の伝説〜

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京都報恩寺


 報恩寺は、「つかずの鐘」の伝説が残された浄土宗の寺院。

 本尊は阿弥陀三尊(伝快慶作)。

 創建年は不明だが、天正年間(1573〜92年)に一条高倉辺りから現在地に移転してきた。

 報恩寺の「虎の図」は、1501年(文亀元年)に後柏原天皇より下賜されたもの。

 水を飲む虎が描かれたもので、豊臣秀吉が聚楽第に持ち帰ったが、夜毎吠えて眠れないため寺に返したと伝えられ、「鳴虎」(なきとら)と呼ばれている。

 1623年(元和9年)、筑前の黒田長政がこの寺で急死。

 客殿には長政が死去した部屋が残され、長政と父官兵衛の位牌が安置されている。






報恩寺鐘楼
鐘楼

 報恩寺の梵鐘は、平安時代末に鋳造されたもので、重要文化財に指定されている名鐘。
 
 しかし、「撞かずの鐘」と呼ばれる悲しい伝説も残されている。 


〜撞かずの鐘〜

 報恩寺のある西陣は機屋の町。

 昔、寺の近くの織屋に丁稚(でっち)と織子(おりこ)が奉公していた。

 この2人、何かというと口げんかをしていたという。

 そして、ある日のこと。
 寺の暮六つの鐘が「いくつ撞かれるか」というこで口げんかとなった。

 丁稚は八つだと言い張り、織子は九つだと言い張った。
 ただ、丁稚は織子が「九つ」だと言うので「八つ」と言い張っただけのことで、実際は「九つ」撞かれることを知っていた。

 そこで、丁稚は使いに出たついでに寺へ行き、寺男に暮六つの鐘を今日だけ「八つ」にしてくれるよう頼んだ。

 そして日没のときがきて報恩寺の鐘が鳴り出した。
 鐘は八つ鳴って終わった。

 翌朝、寺男が鐘を撞きに行くと、鐘楼に帯をかけて死んでいる織子を発見する。

 以後、報恩寺では朝夕の鐘は撞かれなくなり、除夜と大法要のときのみ撞かれるようになったのだという。


報恩寺梵鐘
梵鐘







京都報恩寺
報恩寺

 報恩寺門前の石橋は、豊臣秀吉の侍尼・仁舜尼の寄進。
 擬宝珠には慶長7年(1607年)の銘がある。


京都市上京区小川通寺之内下ル射場町579

地下鉄「今出川」下車徒歩約10分
市バス「堀川上立売」下車徒歩約2分



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