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鎌倉七口:名越切通
〜鎌倉の古道〜


編集:yoritomo-japan.com








名越切通


 名越切通は、武家の都として経済的にも発展してきた鎌倉と三浦を結ぶ往還路として整備された古道。鎌倉七口の一つ。

 切り開かれた時期は不明だが、『吾妻鏡』1233年(天福元年)8月18日条に「名越坂」の記述があることから、それ以前に開通していたものと考えられている。

 鎌倉七口の中でも当時の面影をよく残した切通で、北方の尾根にある「まんだら堂やぐら群」には、多くのやぐらや石塔が残されている。

 また、古くは、日本武尊が東夷征伐の際に通った古東海道筋だったとも考えられている。



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リンクボタン鎌倉七口MAP


日本武尊を祀る社
建部大社





大空洞・小空洞

 名越切通には、岩が切通に覆い被さるように突き出さしている「大空洞」・「小空洞」と呼ばれていた場所があるという。

 容易に侵入できないようにするための施設として造られたものといわれるが、それが切通のどこなのか定かではない。


名越切通
地蔵菩薩と庚申塔
名越切通

 地蔵菩薩立像には、享保8年(1723年)7月の銘が、庚申塔には、寛政12年(1800年)の銘が刻まれている。


名越切通
置石
名越切通

 道の中央に置かれた石は、大軍が容易に鎌倉に侵入することができないようにするためのもの。





まんだら堂やぐら群
リンクボタンまんだら堂
やぐら群
石廟
リンクボタン石廟

 まんだら堂やぐら群は、名越切通の北方尾根に営まれた「やぐら群」。

 その北東の尾根上(大切岸上)には、鎌倉末期から南北朝時代のものとされる石廟がある。









大切岸
リンクボタン大切岸

日蓮ゆかりの法性寺裏山の山腹にある800mにもなる遺構。



三浦軍を入れないための施設か・・・

 源頼朝の亡き後、幕府の実権を握った北条氏がもっとも恐れたのは、三浦半島を本拠とする三浦氏だった。

 そのため、北条氏は名越切通の整備とともに、三浦勢の鎌倉侵入を防ぐこと目的とした「大切通」を築いたと考えられてきた。

 「大切岸は、山の斜面を垂直に削った人工的な防御施設であり、崖の上は平場となっていて、敵の侵入時には、そこから矢を射掛けるなどの攻撃を行った」
 というのが少し前までの学説。

 しかし、近年の発掘調査で「大切岸」は「石切場の跡」ということが確認されたという。

 ただ、「逗子市教育委員会」の資料では、「防衛的な機能は一切なかったとは即断することはできない」としている。 


リンクボタン相模の武将「三浦氏」ゆかりの地





ハイキングを楽しみながら
歴史と自然を満喫

〜大切岸を通って衣張山へ〜

 大切通の尾根の先はパノラマ台衣張山へと通じるハイキングコース。

パノラマ台
リンクボタンパノラマ台
衣張山
リンクボタン衣張山



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〜名越切通アクセス〜

【JR逗子駅から】
亀が岡団地循環バス(6番乗り場)
「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分
または
「亀が岡団地北」下車徒歩5分

【JR鎌倉駅から】
緑ヶ丘入口行バス(3番乗り場)
「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分


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リンクボタン鎌倉の山(古道)を散策

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神社・仏閣巡りとは違う新たな鎌倉を発見できるかも・・・。


衣張山・パノラマ台・名越切通MAP

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