「青天を衝け」渋沢栄一

徳川慶喜巣鴨屋敷跡

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徳川慶喜巣鴨屋敷跡


 1867年(慶応3年)、明治天皇に政権返上を奏上して勅許された徳川慶喜は、寛永寺で謹慎した後、水戸ついで駿府で謹慎生活を送ることとなる。

 1869年(明治2年)、謹慎は解かれたが、駿府(静岡)での生活を続け、東京に戻ってきたのは1897年(明治30年)。

 屋敷は巣鴨の地に構えた。

 東京に戻ってきた理由は・・・

 静岡には、よい医者が少なく、高齢となってきた体を心配したからなのだとか・・・

 屋敷内には、幼少期を過ごした水戸に因んだ梅林があって「ケイキさんの梅屋敷」と呼ばれていたのだという。

 巣鴨で4年間を過ごした後、小日向第六天町に転居。

 その理由は、巣鴨邸のすぐ脇を現在のJR山手線が通ることが決まり、その騒音を嫌ってのこととされている。


小石川後楽園
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 小石川後楽園は、旧水戸藩江戸上屋敷に造られた庭園。

 徳川慶喜は水戸藩上屋敷で生まれた。


徳川慶喜終焉の地
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(文京区)
徳川慶喜の墓
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(谷中霊園)



2021年の大河ドラマは・・・
渋沢栄一


渋沢栄一生誕地 青天を衝け

東京で渋沢栄一

横浜で渋沢栄一







徳川慶喜巣鴨屋敷跡

東京都豊島区巣鴨1‐17・18・25~33



渋沢栄一めぐり東京
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2022年の大河は北条義時
鎌倉殿の13人~宿老13人の合議制~

北条義時