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小谷城を本拠とした戦国大名・浅井氏三代の墓。 中央が小谷城を築いた浅井亮政(すけまさ)。 1542年(天文11年)1月6日没(享年52)。 右が二代久政(ひさまさ)。 1573年(天正元年)8月27日自刃(享年49)。 左が三代長政(ながまさ)。 1573年(天正元年)9月1日自刃(享年29)。 |
お市の方と浅井三姉妹 |
お市の方は織田信長の妹。 浅井長政の継室となり、三人の娘(浅井三姉妹)を産んだが、1573年(天正元年)、信長と対立した長政は小谷城の戦いで自刃。 三人の娘とともに救出されたお市は、岐阜城で暮らしていたといわれている。 1582年(天正10年)、本能寺で信長が横死した後(本能寺の変)、越前国北ノ庄の柴田勝家と再婚。 しかし・・・ 翌年、勝家が賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れると、北ノ庄城で勝家とともに自害した(享年37)。 |
長政とお市の方との間に生まれたのが茶々・お初・お江。 1582年(天正10年)、柴田勝家と再婚した母とともに北ノ庄城に移るが、翌年、勝家とお市の方は自害。 三人の娘は秀吉に預けられたのだという。 のちに長女の茶々(淀殿)は秀吉の側室に、二女のお初(常高院)は京極高次に嫁ぎ、三女のお江(崇源院)は徳川秀忠に嫁いでいる。 |
養源院は、淀殿が父・浅井長政と祖父・浅井久政らの追善のため建立した寺。 妹の崇源院は、大坂の陣で自害した淀殿と秀頼の供養を営んだのだという。 |
滋賀県長浜市平方町872 JR北陸本線「長浜駅」下車 徒歩15分 |
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