中世歴史めぐり


知 善 院
~琵琶湖長浜~


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知善院


 知善院(ちぜんいん)は、1573年(天正元年)の小谷城の戦いで浅井長政が滅亡するまで小谷城下にあった寺。

 坂本の西教寺末寺(天台真盛宗)。

 創建年は不詳。


 小谷城の戦い後、織田信長から北近江三郡を拝領して長浜城を築いた羽柴秀吉は、知善院を城の北東に移して鬼門守護の寺とした。

 本尊の阿弥陀如来と脇侍の日光・月光菩薩は、秀吉が中国攻めの際に播磨国の書写山円教寺から持ち帰ったもの。

 淀殿から次妹お初の夫京極高次に宛てた自筆の消息(書簡)も残されている。




知善院
リンクボタン山門

 山門は、長浜城の搦手門が移築されたものと伝えられる。




知善院観音堂
リンクボタン観音堂

 観音堂の十一面観音坐像は、運慶作とも伝えられているもので重要文化財。




知善院 秀吉木像
秀吉の木像

 秀吉木像は、大坂夏の陣で落城した大坂城から持ち出されたものなのだという。

 知善院は長浜の秀吉信仰の中心となった寺。

 秀吉は、1576年(天正4年)、知善院に30石の寺領を寄進。

 「知善院宛豊臣秀吉朱印状」(天正19年)は、改めて寺領を安堵した書状。





長浜城址
リンクボタン長浜城跡

 長浜城は、羽柴秀吉(豊臣秀吉)の最初の居城。

 1615年(元和元年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡したことにより廃城。

 解体された長浜城の築材の大半は、彦根城の建設のために使用されたのだというが・・・

 知善院の山門は長浜城の搦手門、大通寺台所門は大手門を移築したものと伝えられている。










知善院
知善院

滋賀県長浜市元浜町29-10

JR北陸本線「長浜駅」下車 徒歩15分



知善院・大通寺・徳勝寺
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