中世歴史めぐり


玉造稲荷神社
〜大坂城三の丸〜


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玉造稲荷神社


 玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)は、垂仁天皇の時代に創建されたという古社。

 大坂城の三の丸に位置する社。

 1576年(天正4年)の織田信長の兵火で荒廃するが、豊臣秀吉が1598年(慶長3年)に大坂城を築くと、鎮守神として崇敬を集めた。

 1603年(慶長8年)には、豊臣秀頼が社殿を再建するが、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で焼失。

 1619年(元和5年)になって再建された社は、引き続き大坂城の鎮守として崇敬された。

 その後も焼失と再建が繰り返され、現在の社殿は、1954年(昭和29年)の再建。

 主祭神は宇迦之御魂大神。




万慶稲荷神社 新山稲荷神社
万慶稲荷神社 新山稲荷神社

 万慶稲荷神社は、豊臣家が大坂城に祀っていた稲荷社。

 新山稲荷神社は、1798年(寛政10年)、大坂城代となった松平輝和の城代屋敷であった稲荷社。



厳島神社
厳島神社

 市杵嶋姫神を祀る社。

 境内の池(白龍池)に白龍観音が出現したことにより弁才天を祀ったのが始まりで、雨乞いの神として信仰されている。





豊臣秀頼


豊臣秀頼寄進の鳥居
豊臣秀頼寄進の鳥居

 1603年(慶長8年)に豊臣秀頼が奉納した鳥居。

 1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で基礎部分が損傷したため、上部と脚部に分けられて保存されている。



胞衣塚大明神
胞衣塚大明神

 胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)は、淀殿が豊臣秀頼を出産した時の胞衣が鎮まる社。

 日本では古くから、「胞衣納め」という慣習がありあり、秀頼誕生時の胞衣は大坂城の三の丸に埋められ、地元の人々により祀り継がれてきたのだという。

 胞衣(えな)は、大坂では「よな」と読むらしい。



豊臣秀頼像
豊臣秀頼像

 境内の豊臣秀頼公銅像は、2011年(平成23年)に建立されたもの。



(参考)

清凉寺:豊臣秀頼首塚
リンクボタン豊臣秀頼首塚
(京都:清凉寺)

 三の丸の跡地から発掘された豊臣秀頼の首と思われる頭蓋骨は、清凉寺に埋葬されている。





千利休


利休井
利休井

 茶人で豊臣秀吉の側近としても活躍した千利休を偲び2006年(平成18年)に作られた井戸。



千利休居士顕彰碑
千利休居士顕彰碑

 利休は玉造稲荷神社の南に屋敷を構え、屋敷には利休井があったと伝えられ、大坂城内の山里曲輪に茶室を作っている。

 秀吉の政事にも大きく関わり、大友宗麟は秀吉の弟豊臣秀長から

 「公儀のことは私に、内々のことは利休に」

 と忠告されたのだという。

 京都の秀吉の政庁・聚楽第にも屋敷を構えた利休だったが・・・

 1591年(天正19年)、大徳寺山門(金毛閣)の修築をめぐって秀吉の怒りを買い、自刃させられた。










大坂城
リンクボタン大坂城


玉造稲荷神社
玉造稲荷神社

大阪市中央区玉造2−3−8

JR大阪環状線・地下鉄中央線
「森ノ宮駅」下車徒歩6分




大坂城
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