中世歴史めぐり

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徳川家康



本證寺門徒連判状
〜西三河武士の宗教的結束と三河一向一揆〜


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本證寺門徒連判状


 本證寺は、源頼朝に仕えた小山朝政の次男といわれる慶円が鎌倉時代初期に開いた寺。

 そのためか、源頼朝が朝政に宛てた所領安堵状が伝えられているらしい。

 戦国時代には、三河一向一揆の拠点となった。


 「本證寺門徒連判状」は、本證寺八代の源正の死後、継職した「あい松」に関して本願寺の証如に認知されたことから、あい松を支持する門徒衆が1549年(天文18年)に作成したもの。

 松平氏・今川氏・吉良氏・水野氏に仕える有力武士門徒115名が忠誠を誓って署名している。

 したがって、武士たちの間に領主の対立とは関係のない宗教的な結束があったことを証明している貴重なもの。


 最初に名を連ねている石川清兼(忠成)は、徳川家康の祖父・松平清康と父・松平広忠に仕えた武将。

 清兼は本願寺の信徒総代だったといわれ、そのため、石川一族は33名もの者が名を連ねている。

 「あい松」は、1562年(永禄5年)、加賀一向一揆で戦死した玄海のこととされている。


 1563年(永禄6年)に起こった三河一向一揆では、この宗教的結束から家康の家臣の多くが反旗を翻した。

 清兼の子・石川康正も一揆に加担している。

 ただ、家康の側近・石川数正は、康正の子だが浄土宗に改宗して家康に従ったのだという。



三河一向一揆









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