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神奈川県小田原市の曽我の里にある二宮尊徳(金次郎)の遺髪塚。 尊徳の母の実家は、旧曽我別所村の川久保家。 1840年(天保11年)、尊徳は家運が傾きかけていた川久保家を再興するため、市太郎、民次郎、常次郎の三人の子息に無利子の報徳金を貸し付け、復興の指導を行った。 その結果、もっとも成果を上げた民次郎が川久保家を継ぐこととなったという。 民次郎は、永らく尊徳に仕え、尊徳が亡くなるとその遺髪を曽我へ持ち帰っていた。 この遺髪塚は、民次郎の遺言により、孫の奥三郎が昭和13年に建てたもの。 |
※ | 尊徳は、1856年(安政3年)10月20日、日光山領の復興中に下野国今市村(現在の栃木県日光市)の報徳役所で亡くなり、同地にある如来寺に葬られた。 小田原市栢山の善栄寺には、実弟三郎左衛門(幼名友吉)が故郷に持ち帰った遺髪と遺歯が葬られている。 |
JR御殿場線下曽我駅下車 徒歩約15分 |
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